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2009年03月08日 

人はなぜ葛藤するのか?

科学の子「アトム」は、なぜ孤独を知ったのか?
僕たち現代人は、なぜ「カリユガ」と呼ばれる暗黒時代を迎えたのか?


2008年3月11日の記事 『もう「鉄腕アトム」はやめませんか?』 で、
僕はその答えを古い科学(ニュートンの物理学)に求めました。

すべてがバラバラに分解できるとしたニュートンの物理学が、
僕たちの心までをバラバラにしてしまったと書きました。

そして、
世界は何一つ分断できないつながりの中に息づくことを示した
新しい科学(相対性理論や量子物理学)は、
現代人を孤独から解放してくれると書きました。


僕はまちがっていました。


確かに世界は、何一つ分断できないつながりの中に息づいています。
そして世界に対して、何一つ分断のないつながりを“知る”ことは、
間違いなく現代人を「カリユガ」から解放してくれます。

が、科学の側面からの解釈だけでは、片手落ちです。

なぜなら、科学の側面からの解釈だけでは、
頭で『知る』ことを越えないからです。


現代人「アトム」は、
合理的な世界を信じる種族です。

精神性を重んじる信仰は、
あくまでも主観的な世界として日常から隔離し、
目に見える世界、触れることができる世界こそが“リアル”だと信じて
突き進んできました。

だからこそ僕は、
現代人の生活に多大な影響を及ぼしている科学が示す世界観が
大きく変わろうとしていることのインパクトを訴えました。


実際、ここ半世紀の間に、
科学の世界は大きく変わりました。

その1つが、先日のブログでご紹介したように、
ニュートンの物理学から量子物理学への変遷です。

両者は同じ科学でありながら、
180度異なる世界観を提示しています。

僕は新しい科学のパラダイムに飛びつきました。

そしてこのパラダイムを、
「心の世界」における解釈にも持ち込みました。


 人は誰も一人ではない。
 誰もが、何一つ分断できない流れの中で
 絡み合いながら生きている。

 僕は僕であるけれども、
 同時に僕はあなたでもあり、
 町を走るメルセデスベンツでもあり、
 絶滅に瀕したツキノワグマでもあり、
 銀河の彼方のアンドロメダ星雲でもあるのだ。


ところが、

そうは言ったものの、

僕の中で何か違和感が残る。
その違和感は日に日に大きくなる。


「・・、これでおしまい?」


このパラダイムを唱えたところで、
いったい僕の内面にどれほどの変化が起きたのだろうか?

僕の精神性は、いったいどれくらい成長したのだろうか??


答えは、とっても残念賞。

僕は、何も変わらなかったのです。


実はこれが9ヶ月もの間、
ブログの更新がとまった最大の理由です。


「何かが違う。」


それからは、何が違うのかを探る毎日。

もう一度、新しいパラダイムを語る本を読み直し、
関連しそうな参考文献を、芋づる式に紐解いていきました。


そしてたどり着きました、ケン・ウィルバー。


「アトム」種族の抱える本質的な病巣とは何なのか?

なぜ僕は、新しいパラダイムに出会っても、
本質的に変化しなかったのか?


ケン・ウィルバーは、
その疑問にどんぴしゃで答えを与えてくれました。


 「啓蒙パラダイムの最大の負の側面は、
  証明できる世界、客観視できる世界だけを
  “リアル”としたことである。」


“リアル”とは何なのか?


ケン・ウィルバーは、
科学のみならず、心理学、哲学、社会科学から宗教、芸術に至るまで、
世界中、歴史上のありとあらゆるナレッジの共通点を1つのマップに集約することで
シンプルな1つの結論にたどりついた統合思想家です。

その結論とは、

 「“リアル”には全部で4つの側面がある。
  個の内面、集合の内面、個の外面、集合の外面。
  あるいは、『私(個の内面)』『私たち(集合の内面)』『それ(外面)』
  と3つの側面に分類することもできる。

  これらの側面は、
  究極的な1つの“リアル”の異なる現れであり、
  互いに影響を受け合いながらも、
  互いに独立に成長進化していく」

というものです。




  「君はお父さんを愛しているかい?」

  「もちろん愛しているわ」

  「それを“証明”できるかい?」



ジョディフォスターが主演を務めたSF大作『コンタクト』のワンシーン。


「どうして証明できない世界を信じることができるの?」

と問う有能な科学者エリー(ジョディ)に、
Sexyでホットな神学者パーマー(マシューマコノヒー)が
すでに他界したエリーのご両親について投げかけたやり取り。


『コンタクト』を初めて観たのは、今から遡ること11年前。
なぜかこのワンシーンが強烈に印象に残っています。


もちろんエリーはこの質問に答えることができなかったわけですが、
誰がどう考えても、まちがいなくエリーはお父さんを愛していますし、
目に見えなくても証明できなくても
その世界は確かに存在します。

そしてその世界が存在する瞬間、
対象が誰であれ、
エリーは確かに“愛そのもの”を経験しています。

これがウィルバーが指摘する「私」の世界です。
「私」という『リアリティ』です。


それでは「私たち」の世界はどうでしょうか?

確かにエリーは、
お父さんを愛していることを証明することはできません。

でも事実として彼女はお父さんを愛しているでしょうし、
証明できないにもかかわらず、
ストーリーを通して、
僕たちはその事実を確信することができます。

つまり、ある程度の文脈・背景を共有することによって、
たとえ証明することができなくても、
それが正しいと信じることはできるわけです。

僕たちは誰もが、
たとえば対話による相互理解を通して、
他人の主観というリアリティに、
ある一定の理解を示すことができるわけです。

これが「私たち(集合の内面)」の世界です。
“間主観性”と呼ばれる『リアリティ』です。


そして最後の1つが、僕たちがもっとも慣れ親しんでいるリアル、
客観的で証明可能な「それ(外面)」と呼ばれる『リアリティ』です。


僕たちは、目に見える世界、触れることのできる世界、
数えることのできる世界を“リアル”と捉えがちです。

しかし、目に見えない主観の世界も、
触れることのできない間主観の世界も、
目の前にある机やパソコンと同様に、
生々しく『リアル』だと言えます。


これらの『リアル』は、
すべてが集まって互いの存在と役割を理解しあって、
はじめて真の“リアル”が浮かび上がります。



アトムの世界は、
圧倒的に『それ』として証明可能、説明可能な『リアル』が
唯一の“リアル”として捉えられている時代です。

実はこのパラダイムこそ、

啓蒙主義 と呼ばれるものです。


啓蒙主義は、魔女狩りに代表される中世の悪夢を乗り越えるために
生まれてきたパラダイムです。

中世は、現代とはまた異質の暗黒時代でした。

神の名の下、人間のエゴが大暴走し、
多くの罪のない人の命が、
想像を絶するような残忍な方法で奪われていきました。

科学的な根拠をもって天動説に異論を唱えたガリレオさえもが、
神への冒涜として異端尋問にかけられ、終身刑を言い渡されたのです。


「それはおかしい!」

「信仰ではなく科学によって裏付けられる世界があるのだ!!」


こうして、歴史上はじめて科学の子「アトム」が誕生しました。

「アトム」は、主観の『リアリティ』が生み出した理不尽の数々を、
それはそれは斬新な方法で次々と打ち倒し、

正義の象徴として世界に君臨したのです。


やがて「アトム」は、産業革命、資本主義経済という
大輪の花を咲かせることになります。

人々の暮らしは便利になり、金銭的にも豊かになり、
今では世界中の国が「アトム」を生み出し
先進諸国に追いつけ追いこせと、
凌ぎを削って経済発展にまい進しています。


ところが、啓蒙パラダイムの華やかな活躍の裏で、
新たな影が静かに忍び寄っていたのです。


エリーの一言は、まさにその影の象徴と言えます。


「どうして証明できない世界を信じることができるの?」


僕たちの多くは、

「すべてが科学で証明できるわけではない」

と答えるかもしれません。

一方で、いったいどれほど僕たちは、
無条件でお互いを信頼し合うことができるでしょうか?

どれほど無条件の愛を知っているでしょうか?


「ただ信じるときにシンプルに存在する」

それが信じる世界の『リアリティ』の本質にもかかわらず、

誰かを信頼するために、
何かを信じるために、

僕たちは、どれほど多くの

信じる裏づけとなる何か

を求めていることでしょうか。



啓蒙パラダイムは、主観の『リアリティ』の
行き過ぎた悪の側面に立ち向かうために生まれました。

それがいつの間にか、
主観の『リアリティ』そのものが
行き過ぎた悪として駆逐されていったのです。


こうして「アトム」は、目に見える世界、触れられる世界、
数えることができる世界を絶対的な“リアル”と位置づけ、

客観的な『リアリティ』のルールが適用できない『リアル』を、
「存在しない世界」として排斥していったのです。



科学の世界がニュートンの物理学から量子物理学に変遷したことは、
根本的な変化を何一つ生み出さないのです。

なぜなら、それは 相変わらず啓蒙主義 だからです。


もちろん、新しい科学が示す驚愕の世界観は、
客観の世界においてパーフェクトに正しいです。

そして各『リアリティ』が、それぞれ、
究極の“リアリティ”の現れ方の1つであるのならば、

客観の『リアリティ』が示す世界観は、
おそらく僕たちの心の『リアリティ』にも通じるでしょう。

その意味で、
客観の『リアリティ』が示す世界観で、
主観の『リアリティ』を語ること自体は、
大いに結構なことだと言えます。


でも、ここから先が問題なのです。


実際に「私があなたであることを“知る”」とは、
一体どんな感覚なのでしょうか?

実際に「私が銀河の彼方のアンドロメダ星雲であることを“知る”」とは、
一体どんな感覚なのでしょうか?

うたかたの夢の中で、
その感覚を瞬間的に感じることは、
誰もが一度は経験したことがあるかもしれません。

しかし、その感覚が継続するとは、
一体どんな感覚なのでしょうか?

どうすれば僕達は、
その感覚を“知る”ことができるのでしょうか??


実は、この感覚こそ“成熟自我”と呼ばれるものです。


残念ながら、いくら科学が発展しても、
いくら科学が驚愕の世界観を提示しても、
僕たちは“成熟自我”に至ることができません。

本質的に持続可能な社会を実現させる鍵が
“成熟自我”にあることを『知って』いても、
その世界を実現することができません。


なぜなら、
「アトム」は心の『リアリティ』を排斥してしまったがために、

心を成長させる方法までをも失ってしまった

からです。


いわゆる一般的な先進国と言われる国のほとんどが、
この病気を抱えているとされています。
(心の発達が“後期自我(理性で自分を律することができる自我レベル)”
 で止まってしまう病気。ちなみに先進国の指導層は典型的な“後期自我”
 と言われている。by 天外伺朗氏)

何かしらの信仰を持つ人でさえも、科学的合理主義に触れたために、
同じ病気を抱え、矛盾に苦しんでいると言われています。

発達論的に、進化は不可逆です。

先進国における平均的な内面の発達度合は、
地球上では進んでいると言えます。

心の発達のためにも、
科学の発展は避けて通れない道です。
(特に“中期自我”から“後期自我”への発達のために)

しかし、先進国の後ろ盾である啓蒙パラダイムは、
花咲けば花咲くほど、
同時に心を失っていくさだめを背負っています。


発展は喪失を生み出し、
喪失を補填するためにさらなる発展を求め、
結果的にさらなる喪失を生み出す。


こうして袋小路にはまって、
「世界が狭くなるだけで何一つ満たされない」
という負のスパイラルが加速しつづけています。

先進国に追いつけ追い越せと猛追している国々も、
次々と同じ袋小路にはまっています。


本来“豊かさ”とは、証明することもできなければ、
計ることもできません。

なぜなら“豊かさ”とは、

心で感じる深さ

だからです。

経済的にリッチであることと豊かであることは、
本質的にまったく、
気絶しそうなくらいまったく関係ないのです。
(影響し合う側面はあっても)


まず何よりも必要なことは、

客観の『リアリティ』と同じ位置に、
主観や間主観の『リアリティ』を位置づけることです。

豊かであるためには、
内面の成長を体感することが必要不可欠です。

心の『リアリティ』の存在を確かに感じて、
主観の『リアリティ』の世界で
心の発達に取り組むことが必要不可欠です。
(by ウィルバー)


「アトム」が心を取り戻すためには、
ただ心が“ある”ことに気づけば良いだけです。

目に見えない世界が、
目の前の机やパソコンと同様に
生々しく『リアル』であると
“知る”だけでいいのです。

そして、それを“知る”瞬間、
筋トレでマッチョになれるように、
僕たちは心を育てる術を取り戻すことができるのでしょう。


それでは、一体心を育てる方法には
どんな方法があるのでしょうか?


ケン・ウィルバーはこう言います。

「“瞑想”とは心の成長を促す方法の1つである」と。


ほかにもいろいろあるようですが、

最近では科学的な根拠をもって、
(たとえば、瞑想時の脳波を調べる等)
「これは結構効果的」「これは微妙かも」「これはやり方次第」
といった分類も可能になってきたようです。


今後このブログでも、
怪しくなりすぎない程度に紹介していきたいと思います!

2008年12月20日 

アメリカ政府から、GMとクライスラーに対して、
1.5兆円のつなぎ融資が決定したそうです。

ソキュアスレベルの会社ですと、
30万社くらいつながりそうな大金ですが、、

GMやクライスラーレベルですと、
1.5兆円もの太い綱も、
こころもとないといったところでしょうか。


さすがに世界同時不況というだけあって、
日本でもアウトレットマンションなるものが登場する始末です。

この傾向は、今後あらゆる業界で出てくるでしょう。


先日、某女性向け情報サイトから記事広告の営業がありましたが、
定価120万円の広告枠が今なら60万円だそうです。

「どんな原価構造だよ」と思わずつっこみそうになりましたが、
そのアクセス数で60万だったらお得かも、
と思ったので、黙っていました。
(どうやって訪問者を集めているかは気になりますが)


広告枠のアウトレット販売なんてのも、
あったらおもしろいかもしれないですね。
(もうあるかもしれないけど)


ちなみに、先日「ガイアの夜明け」を見ていたら、
最近世の中で、いろんなシェアリングサービスが登場している、
との特集をやっていました。

カーシェアリングとか、
生活品やブランド品のシェアリングとか。

所有せず、

必要なときに必要なものを必要なだけ使う

という考え方が浸透してきた証拠だといえると思います。


ちなみに2015年から2030年の間に、
今の資本主義経済は、根本的に変容を迫られる、と
いろんな分野のオピニオンリーダーが、
切り口は違えど、同じことを言っています。

まちがいなくそれは現実化するでしょうから、
一山当てるなら、目先10年がラストチャンスでしょう。


さてさて、この不況の真っ只中、

どんなビジネスで一山当てることができるのか??


まぁ、個人的には、
最近すっかり興味がなくなってきた話題ではありますが、、

やっぱり基本は、

下りだろうが上りだろうが、

乗るなら進行方向のエスカレーター

です。


どう考えても世界はデフレでビュンビュン系。

だったら、

デフレを加速させる商売をすればいいだけ

です。

アウトレット販売もそうですし、
シェアリングサービスもそうです。


ほかにも色々と思いつきそうですね!
2008年12月01日 

サルにタマネギを渡すと、
中身の具を取り出そうと一心不乱に皮を剥きはじめ、
遂には何も残らなくなるところまで剥き続けるそうです。

さて、

最後まで剥ききった瞬間、
サルはある種の達成感を覚えるものなのでしょうか?

それとも、何とも言えない虚無感に駆られるのでしょうか?

(ちなみにこの話は冗談です)


ビジネスというのはどこかタマネギに似ています。

1億円の次は10億円ですし、
10億円の次は100億円ですし、
100億円の次は1000億円ですし、
1000億円の次は1兆円です。

エンドレスです。

1億円よりも1兆円の方が何か価値があるのかと問われれば、
確かに数字が大きいという意味でボリュームは大きいといえます。

一方で、10枚剥くよりは、1枚だけ剥いた時点で、
最後には何も残らなくなることに気付くことにも
大きな価値があると言えるでしょう。


1枚剥いて嘆くはビジネス、
100枚剥ききって嘆くは経済。

いずれにせよ、
この世界に浸かっている限り、
ニヒリズムは永遠につづくように感じています。

そしてこの経済を信奉する僕たちは、
紛れも無く、
タマネギの皮を剥きつづけるサルなのでしょう。

その先に“具”があると信じて。


hansei
反省。

実際のサルはもっと賢いっス
しかもタマネギ好物っス



どうすればタマネギの皮むきから脱却できるのか?


世界的に株価が低迷し、
景気回復の糸口が見つからないことが騒がれる今日この頃ですが、

一見ウツになりそうな暗い不況も、
一段と成熟した経済社会に向けて、
根本的に変革するチャンスと受け止めることも可能です。

それは進歩という言葉で説明される連続的な変化ではなく、
一足飛びの非連続な進化です。

外面的な変化や発展や解決法の模索ではなく、
内面的な気づきや間主観性の認識の問題です。


問題の解決法を“外”に求めることは確かに合理的ですが、
副作用として新たな問題を生み出します。

なぜなら「問題は私以外にある」とするスタンスそのものが、
エゴを前提とするからです。

一方で、問題の解決法を“内”に求めることは一見非合理的ですが、
非合理的と捉えず“脱”合理的、
あるいは後慣習的と捉えられるかどうかが、
今の局面を本質的に打開できるかどうかの分岐点です。

なぜならそもそも問題などどこにも存在せず、
問題は、明らかに僕たちの“解釈”が生み出す創造物だからです。

その証拠にこの地球上で問題を“抱える”のは、人間だけです。
“解釈”を通してイメージを抱くのは、唯一、人間だけです。


クリシュナムルティはこう言います。

「どうすればいいかと問わずに、
 ただそれを観察してください。
 あなたがどのようにして問題を作り出すのか、
 そのプロセスをただ観てください。
 あなたがどのようにして一人芝居をしているのか、
 その仕組みに気づいてください。」


問題は起こると同時に解決している

というスタンスで問題に向き合うとき、
すべての問題は、まるで太陽の光に融けて消える氷のように、
消えてなくなるといいます。

実際に体験しようとさえ思えば、
誰もが経験して認識できることです。


成熟したビジネスとは何でしょうか?
成熟した経済とは何でしょうか?


少なくとも、タマネギの皮を剥くことでないことだけは確かです。

クリシュナムルティの言葉を借りるのなら、
ではどうすればいいのか、と問うことでもありません。

それはただ、
タマネギの皮を剥きつづける行為に気づくことだと言えそうです。
2008年03月11日 

さて、今日は、

人はなぜ葛藤するのか?
なぜ悩み、苦しむのか?

その裏側の世界を探ってみたいと思います。

葛藤の本質が把握できれば、
回避する術を身につけることも
きっとできるようになると思います。


人はなぜ葛藤するのか?


ヒンドゥー哲学によると、

機械文明が主流である現代は
「カリユガ」と呼ばれる暗黒時代に相当するそうです。


「カリユガ」は、
労働者支配の思想や科学的合理主義を崇拝する時代観で、
ローレンス・トーブの『3つの原理』によると、
2030年頃まで続くとのことです。


いつの時代も、
人々は何かしらの悩みや葛藤を抱えるものだとは思いますが、

現代人の悩み・葛藤は、

科学的な思想を根っこに持つ

という点において、大変特徴的だといえます。


先日ブログでもご紹介したとおり、

現代に生きる僕たちの価値観・考え方は、
科学を背景にもちます。

言い換えれば、科学を信仰する時代、だということです。

どんな科学かといえば、
ニュートンを代表する科学です。

木からリンゴが落ちる実験で万有引力を発見した
あのニュートンです。


ニュートンを代表する科学は、
大きな大きな仮定を前提としています。


その仮定とは、


物質を精神とはまったく分離した単なる物体として扱い、
この世の中を数多くの異なる物体が集まってできた巨大な機械とする



というものです。


この考え方は、
近代の工業化文明において具現化の極みに達する
機械論的世界観につながります。


「どんなものも分解できる。」


分解して把握できる構造の中に、
あらゆる問題の解決策を見出せる。

あらゆる装置がつくりだせる。
あらゆる病気が治療できる。
あらゆるサービスが生み出せる。


この考え方は、
純粋な科学の場を飛び越え、
ナショナリズムの変革を呼び起こし、
教育現場を改革し、

世界は、
たくさんの科学の子「鉄腕アトム」を生み出してきました。

そして、「鉄腕アトム」はたくさんの希望を生み出し、
経済社会を膨らませながら、根強く根強く、
僕たちの生活の中に浸透していったのです。


アトムは人々の生活を便利にするために、
たくさんの「分解」を繰り返しました。

はじめは学問の世界で。
次は産業の世界で。
医学の世界で。
経営の世界で。
政治の世界で。
法律の世界で。
学校教育の世界で。


そのすべてが使える。
そのすべてが便利さを生み出す。

人々の生活は向上し、病気も治り、お年寄りも長生きできる。
環境だって、うまくやれば共存できる道があるはず。
きっと科学がもっともっと発展すれば、
自然だって再生できる日がくる。

アトムはそう信じて走り続けました。

そして遂には、
自分自身の心の世界にまで「分解」の手が伸び、
気づいたときには、
自分の肉体までもが心とバラバラに切り離されてしまっていたのです。


まぁ確かにアトムはロボットですから、
修理は御茶ノ水博士が研究室で行います。

でも僕たちも似たようなものです。

事実、病気は病院に行って治すものだと思っていませんか?


この考え自体が、
心にまで「ニュートン」の世界観が浸透した証拠です。


こうしているうちに、
心も体ももともとはすべて1つであるという「つながり」を、
僕たちは忘れてしまったのです。

ライラの冒険』にたとえるなら、

心と体の「つながり」を忘れるということは
人間から「ダイモン」が切り離されるようなものですから、
苦しくて当たり前です。



アトムは強くたくましく優しい。

たくさんの仲間に恵まれ、
家族に愛され、
正義に燃えていました。


でも、いつも孤独だったのです。


「孤独」


「孤独」こそが、機械文明が生み出した
最大の副作用です。

現代人が抱える葛藤の多くは、
この「孤独」が深くかかわっています。


自分だけが取り残された孤独。
自分だけが成功しない孤独。
自分だけが認められない孤独。
自分だけががんばっている孤独。
自分だけが愛されない孤独。


そしてこの「孤独」こそが、
ヒンドゥー教において「カリユガ」が暗黒時代とされる理由だったのです。



どうすれば僕たち現代人は、
「孤独」から解放されるのか?




答えは意外なところにありました。


「もともとすべては分解不可分な“全体”である」


こう言うとなんだか宗教っぽい。
我ながらアヤシイですね。


でも、ご安心ください。
新手の新興宗教ではありません。

実はこれ、正真正銘の科学なのです。

ニュートンよりもずっと新しい科学。


誰だと思いますか?


かの有名な アインシュタイン です。

科学の世界で「全体性」に気づいたのは、
アインシュタインが一番はじめです。


アインシュタインといえば相対性理論。
相対性理論は難しいですが、

実は、僕たちの生活にとって
とても大切なことを教えてくれています。



「世界は分割も分断もされない一つの全体である」



アインシュタインは相対性理論を通して、
ニュートンとはまったく異なる新たなルール、

「この世の中は分割不可能な1つの“全体”である」

というルールを証明したのでした。


当時は、理論の内容そのものがあまりにセンセーショナルで、
人々は、その本質が訴えている世界観にまで気づくことができませんでした。

厳密には、アインシュタイン自身さえもが気づけなかった、
と言われています。


ところが、相対性理論につづいて、
量子物理学までもが、

「この世の中は分割不可能な1つの“全体”である」

というルールを証明したのでした。


さすがに一部の「鉄腕アトム」は気づき始めました。


 この世の中が分割不可能な“全体”である以上、
 物事を分解して考える、という行為は、

 ちょうど水の流れの中にできる渦を取り除こうとするようなもの。


渦は単独で渦になりえるわけではなく、
水の流れや水面の風、水底の岩との相互作用の中で、
姿を現し、消えてゆくものです。

それなのに、どうして渦だけを取り除くことができるのでしょうか。

わざわざ流れから渦を切り離して「孤独」だと感じることは、
果たしてどれくらい意味があることなのでしょうか?


そもそも渦自体、流れなのではないでしょうか?


アインシュタインの相対性理論も量子物理学も、
その根本的な思想において、
そもそも「孤独」は存在しないということを指摘しています。

僕たち現代人が抱える「葛藤」も、
「葛藤」を生み出す「孤独」も、
もっと言ってしまえば、人や物質そのものも、
水の流れの中に浮かんでは消える泡のようなものです。

「泡のようなもの」というと、
「人ってはかない存在なんだネ」と思う方もいると思いますが、
ここで言っていることはそういうことではなく、

大事なことは、僕たちが、

何一つ分断できない「つながり」の中で生きている

ということです。


つまり、天外伺朗氏の表現を借りると、

確かに僕は僕であるけれども、
同時に僕はあなたでもあり、
町を走るメルセデスベンツでもあり、
絶滅に瀕したツキノワグマでもあり、
銀河の彼方のアンドロメダ星雲でもあるということです。


この途方もない「つながり」を“知る”瞬間、
一体どうすれば僕たちは「孤独」になりえるのでしょうか。


僕たちの世界が機械文明になるずっと昔は、
人はみなこの「つながり」を直感的に“知っていた”といわれています。

ところが、ヨーロッパ中世の魔女狩りに見られるように、
闇雲な信仰は、時として人の社会を退廃させます。

その世界を変えようと、
ニュートンの科学は生まれたのです。


ニュートンの科学は不完全でした。
しかし、科学自体はなかなか捨てたものではありません。

なぜなら、一度は忘れてしまった「つながり」を、
再び気づかせてくれようとしているからです。

今度は誰もが納得できる形で。


「つながり」に気づくという行為は、
一人一人が自分の内側で“感じる”ことです。
だから、気づくための具体的なハウツーがあるわけではありません。

一方で、なぜ「つながり」を忘れてしまったのか、
その背景を知識として知ることは、
「つながり」を取り戻す助けになるとは思います。


「葛藤」に苦しむとき、
「不安」におびえるとき、
「孤独」に悩むとき、

それは、ニュートンの運動方程式が疼くサインなのかもしれません。

そんなときは、
アインシュタインの相対性理論を羅針盤に、
ぜひあなたの「ダイモン」を取り戻す心の旅に出かけてみてください。

「孤独」は存在しない、ということに気づく瞬間、
まるで新しい自分に生まれ変わったような
まるで異次元の世界にテレポーテーションしたような
そんな新鮮さに包まれることでしょう。



あっ、最後はなんだか宗教っぽくなった。

次やるなら宗教だな。
2008年02月23日 
今あなたの目の前にある机やパソコンを、
観測可能な最小の世界まで拡大して眺めると、
そこでは一体どんな世界が展開されているのか?


先日、この世の中のすべては“波”でできていることが、
新しい物理学によって証明されようとしていることをご紹介しました。

そして、これは、
旧来の古典的な科学の観念を打ち砕く
衝撃の事実であることも合わせてご紹介しました。


科学がどんな世界観を提示するかは、
僕たちが「何を信じるか?」ということと密接なつながりがあります。

なぜなら、僕たちが今日まで受けてきた教育、
つまり、身につけている教養、常識、信念、価値観は、
科学と切っても切り離せない深い関係にあるからです。


僕たちが今日まで受けてきた教育は、
最新の科学ではなく、ニュートンを代表する古典的な科学を基盤にしています。

ところが新たな科学は、
旧来の古典的な科学とは180度異なる世界観を提示しようとしています。

その1つが、
先日の記事「明日のSF」でご紹介したとおり、
この世の中のすべては“波”でできている、という事実です。




今回は、それ以上に衝撃的な事実をご紹介したいと思います。


その名も 「非局在性(ひきょくざいせい)」

「非局在性」は、新たな物理学にとって、
20世紀最大の発見と呼んでも良いでしょう。


僕たちがもっとも強く抱く一般常識の1つは、

「物事には原因があるから結果がある」

とする 「因果説」 です。


そもそも「因果説」と呼ばれる概念は、
古典力学の基盤となったニュートンの運動方程式に由来しています。


 力学的な世界観は、厳密な決定論と密接に関連している。
 自然の出来事には必ず明確な原因があり、その結果もまた明確である。


「因果説」が、僕たち現代人にとって一般常識となっていることに、
反論する人はいないでしょう。


ところが、新しい物理学が発見した「非局在性」とは、
「因果説」と真っ向から対立する性質だったのです。


「非局在性」とは、一言でまとめると次の通りです。


 観測可能な物質の最小構成要素は、
 常識で考えられるあらゆる時間と空間の限界を超えて
 相互に結びついている。


別の表現でもう一言。


 一個の粒子、分子、細胞は、
 エネルギーや信号を媒介する媒質によって結びついていないにもかかわらず、
 互いの粒子の状態を「知る」ことができる。


こんな表現もあります。


 量子と量子は、どんなに遠く離れていようが、
 どんなに時代を隔てていようが、
 瞬時に、しかもエネルギーを介さず、同調する。


「非局在性」によって、
次のような摩訶不思議な現象が起こることも、
実験によって観測されました。


 2004年、コロラド州米国標準局とオーストリアのインスブルック大学が、
 原子のテレポーテーション実験に成功。


「っ!?てれぽ、、テレポーテーション!??」

という感じですが、、


要するに、


僕らが普段感知する世界の裏側に、
すべてが絡み合って渾然と1つになったもう1つの世界があって、
そこでは時間や空間といった概念を超越して、
ありとあらゆる情報が蓄積され、準同時に共有されている、

という“場”を仮定すると、

テレポーテーション(瞬間移動)と解釈される現象も、
タイムトラベルと解釈される現象も起こりえる、
(直接的に“この世”の空間・時間を“移動”しているわけではない)


ということです。


この“場”を 『暗在系』 と呼んで
「ホログラフィー宇宙モデル」を提唱したのが、
かの有名な物理学者ディヴィッド・ボームです。


新しい科学の中でもっとも多くの支持を得ている知見は、
ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」を基盤に、
日々発展をつづけています。



カンタンに「ホログラフィー宇宙モデル」を説明すると、、


この宇宙は、
普段目に見えて感知できる世界、つまり僕達が“現実”と呼ぶ世界と、
普段目には見えないけどありとあらゆる情報が1つに畳み込まれている世界、
これら2つの世界から成り立っている、

とする理論です。

ボームは、前者を『明在系』、後者を『暗在系』と呼び、
ちょうどホログラフィーのように、明在系は暗在系の投影だと考えました。



ボームは、「ホログラフィー宇宙モデル」について、
次のようにも述べています。


 粒子というのは、常にこの世に存在しているわけではなく、
 あるゆらぎの確率に従って『暗在系』から『明在系』に出てきて、
 また『暗在系』に戻る。常にそれを繰り返している。


もっとわかりやすい表現で次のようにも述べています。


 私たちが物体だと認識しているものは、
 ちょうど噴水の水の形のようなもの



衝撃の事実です。


固定された形を持つと信じられてきた机やパソコン、
あるいは自分自身の体でさえ、
それを構成する最小単位の要素は、
常に『暗在系』と出入りを繰り返すことで、
まるで噴水の水のようにその形を維持しているわけです。


そして『暗在系』は、
時間も空間も定義することができず、
すべてが渾然と1つに畳み込まれている世界だと言うのです。



さて、ここで1つの疑問が浮かび上がります。



もし、この世の中の物体や僕たちの肉体が、
噴水の水のようにその形を維持しているのならば、

それらの形は、一体何によって維持されているのか?

という疑問です。


仮に新たな科学が、「因果説」と真っ向から対立するなら、
なぜ僕たちの体はバラバラになってしまうことなく、
その形をとどめていられるのか??


この疑問への答えは、


「非局在性」とは、『明在系』における
『暗在系』のルールの見え方の1つにすぎない


ということです。


実際には、やはりルールがあると言えそうです。

僕たちが住む“現実”で起こる出来事は、
単純に『明在系』における「因果説」に従うわけではありません。

かと言って、まるでデタラメであるわけでもありません。

もっと深い世界でのルール、すなわち

『暗在系』のルールに従う

ということです。



この『暗在系』のルールを、ボームは 「内蔵秩序」 と名づけました。

「内蔵秩序」は、完全には記述できないものの、
さまざまな実験結果から、その作用の一端が捉えられています。

さらに驚くべきことに、「内蔵秩序」における作用は、
意識(思考、感情、欲望、意志などを含む)における作用と著しく似ていることを
ボームは発見しました。

そこでボームは、大胆な仮説を立てるに至ります。


『暗在系』には、意識もたたみこまれている



時同じくして、神経科学の世界的権威である
イエール大学に在職していた大脳生理学者プリブラムは、
新たな脳科学の見地から、

脳はきわめて弁別能の高い周波数分析装置である

ことを突き止めたのでした。

つまり、脳とは一種の受信機(トランシーバー)に過ぎない ということです。


ボームとプリブラムの研究を足し合わせると、


意識は『暗在系』にたたみこまれており、
脳が受信機となってその情報をキャッチし、
“現実”が映し出される



という構図が浮かび上がってきます。



なんてこったい。


誰もが、自分の外に“現実”があり、
そこからの作用で意識が生まれると
信じていました。

誰もが、意識は脳の中にあると信じていました。

ところが新たな科学は、
意識は物理的に脳の中にあるのではなく、
『暗在系』にたたみこまれていると言うのです。


すると当然、
『暗在系』ってどこにあるの?

という疑問が湧いてきます。


この疑問への答えは、

至るところに偏在する、だそうです。



なんだか訳のわからない話しになってきましたが、
『暗在系』のルールそのものは、
他でもない僕たち自身が、経験的に日常で触れているものでもあります。



たとえば、子供が学校でイジメを受けたとします。

僕たちが住む“現実”での振る舞いだけを見ると、

いじめっ子が悪いとか、
学校環境が悪いとか、
いじめられる側にも問題があるとか、
親の教育が悪いとか、

そういった直接的な因果関係にスポットライトが当たります。


すべて『明在系』における「因果説」に従った原因解明です。

実際には、この方法で問題はなかなか解決しません。
一時的に解決したとしても、本質的に解決されていない、ということです。


このケースは、
子供が抱えている問題ではなく、
親が抱えている未解決の問題そのものが引き金となって起こることが、
深層心理学の世界などにおいて報告されています。


たとえば、一見仲の良い父母間での不信感であったり、
親とその親の間におけるトラウマの未解決だったり、
職場における上司部下との摩擦だったり、、、etc。

しかもこれらの問題は、顕在意識において、
本人はもちろん、
まわりも気づいていないことが多いといわれています。


この種の問題に、
親自身が自ら気づき、「実存性の変容」 を迎える瞬間、

まるで陽の光に雪が溶けるように

子供のイジメもスーッと消えてなくなるそうです。


直接的には何の手も下していません。

学校にクレームを言ったわけでもなければ、
いじめっ子を退治したわけでもありません。
子供に空手を覚えさせたわけでもありません。



子供がイジメられていることを知って葛藤を覚えた親が、

自分の中にある葛藤を見つめて、
その葛藤を「実存性の変容」を通して解決しただけです。



“現実”における「因果説」に囚われると、
ついつい、問題は自分の外にある、と考えがちです。

いじめっ子が悪いとか、
学校環境が悪いとか、
いじめられる側にも問題があるとか、
親の教育が悪いとか、

すべて自分の外に問題を求めた形での原因解明です。

ニュートンを代表する古典的な科学は、
ひたすらこのアプローチを取ります。

そして僕たちは、未だに古典的な科学の虜です。
なぜなら、相変わらず学校教育も家庭教育も、
古典的な科学を規範としているからです。


ところが、新しい科学は、
180度違った問題の捉え方を示唆しています。


すべての問題は、自分の内にある


自分に降りかかる葛藤のすべては
このアプローチで本質的に解決されます。

離婚、犯罪、戦争、暴力、経営不振、ガン、過労、、etc

例外はない、ということになります。


もちろん逆のパターンも同様です。


何か自分にとって喜ばしいことが起こったのなら、
それは、ただ単純に、自分の内面で起こったことです。
“外”に原因があると考えることは、一種の錯覚です。

好きな相手に告白されたから嬉しいわけでもなければ、
目指していた資格試験に合格したから嬉しいわけでもありません。
会社がうまくいって成功したから嬉しいわけでもありません。

ただ単純に、自分が“嬉しいと感じる”から、
嬉しいと理由づけできる“現実”を呼び起こすと言えます。


もちろん、“外”に原因があるように“見える”ことはあります。
そう“見える”限りにおいて、それは「事実」といえます。


同時に「事実」とは、
捉え方1つで、いくらでも作り出せるものだとも言えます。

自分の内面の変化によって「作り出せる」 のです。

なぜなら、喜びも葛藤と同様、
自分の内にあるからです。



まさしく、“現実”は僕たちの内面の鏡 だと言えます。

鏡に映る自分に変われと言っても変わるはずがありません。
鏡に映る自分は、“こちら側”の自分を変えることでしか変わりません。


“現実”を鏡に喩える話は、さまざまな分野で耳にします。
そのような表現を使う本もたくさんあります。

僕の発言自体、ウケウリです。


しかし、哲学や文学としてではなく、
科学で説明されることに興奮してしまうのは
僕だけでしょうか?



量子物理学者たちが発見した「非局在性」。

「非局在性」を突き詰めた先の新たな科学は、


“現実”とは、自らの内面が“つくりだす”世界である


ということを示唆しています。

文字通り、僕の“現実”は、僕の内面が“つくりだしている”のです。
あなたの“現実”は、あなたの内面が“つくりだしている”のです。

繰り返しになりますが、
これは比喩でもなんでもありません。

正真正銘の 科学 です。



明日のSFパート1」では、

この世のすべてが“波”でできていることを捉えた新しい科学が、

現実であると信じた世界が目に見える

ということを示唆していることをご紹介しました。


今回の「明日のSFパート2」では、
新しい科学の大発見である「非局在性」を突き詰めると、

“現実”とは、内面が映し出す鏡の世界である

という世界観が導かれることをご紹介しました。



本当に思考は現実化するのか?

思考が現実化するプロセスを科学で解明できるか?


ここ一年くらい個人的に取り組んできたテーマに、
それなりの答えが出たようです。


思考が現実化するわけではありません。

すべての“現実”は、思考の証明なのです。


物理学者フリーマン・ダイソンは言ったそうです。

「基本的な粒子でさえも、ある形、あるレベルでの
 意識(原意識;プロトコンシャス)をもっている」

すべての物質が意識を持つということは、
すなわち、

イメージできるということは、
対象となる“現実”(物質)が存在する


ということに他なりません。


相当ファンキーです。
ファンキーを通り越してアナーキーです。


「もしかしたらとんでもなくフリーダムな時代を迎えようとしているのかも」

想像するだけで鼻血が出そうです。
2008年01月13日 

2008年も あっ! という間に2週間が経ちました。
早いですね。

早速今年一発目の風邪もひきました。
初詣には行きませんでしたが、おかげさまで厄落としもばっちりです。
(厄年ではありませんが)


さて、今年の抱負です。

今年は、今まで以上に目標を持たず、
風の吹くままに、波に揺られつつ、
時代の大道に身を委ねたいと思います。


まちがいなく僕たちは、
激動の21世紀を生きています。

目を見張るまでの断続的な変化は、
目の前まで迫っています。

アーヴィン・ラズロは、著書『カオス・ポイント』の中で、
2012年をタイトル通り「カオス・ポイント」と予測しています。

経営コンサルタントの神田昌典氏は、70年周期理論を用いて、
2015年に資本主義経済が大きな変質を求めれらる、と予測しています。

『3つの原理』の著者ローレンス・トーブは、
カーストモデル、性モデル、年齢モデル、3つの原理を用いて、
2030年に世界はポスト資本主義経済を迎えることを予測しています。


最新物理学は、科学に180度の変革を求めています。
ホリスティック医療は、その勢いを増しています。
科学的合理主義は、陳腐化しつつあります。
科学を土台に培われてきた僕たちの「信仰」は、
大きく揺さぶれています。


なぜ、僕たちはパンを得るための仕事から逃れられないのでしょうか?
なぜ、働くことは、時として苦しみでなければいけないのでしょうか?
なぜ、生きることは、時として悩みでなければいけないのでしょうか?
なぜ、ガッツを持ってこれらの苦しみ・悩みを乗り越えることが美徳なのでしょうか?

すべては、時代が求めた価値観に過ぎません。
時代が求めた教育の影響に過ぎません。

その時代が変わろうとしています。
その勢いは、この先増す一方です。


来るべきポスト資本主義経済とは、
一体どのようなものなのでしょうか?


すべては、 「バランス」 という一言に集約されます。

そもそも今の経済のあり方は、
持続可能な成長の本質からはかけ離れています。

『カオス・ポイント』の中で
全世界の人々が先進諸国と同じ水準で牛肉を消費すると、
牛肉となる牛を育てるための穀物を育てるために、
あと地球が2個必要となる、
とのコラムが掲載されていました。

これは何も牛肉の話しだけではありません。
水も空気も同じです。

紛れもなく資本主義経済には、
物理的な限界があります。


もちろん資本主義経済のすべてが悪いわけではありません。
数え切れないほどの恩恵もあります。
確かに科学や医学の発展により、僕たちの生活は便利になりました。
同時に、かつてなかった問題も新たに生まれました。
身近なところでは、アトピー、花粉症、環境汚染、、etc。

これらの問題を解決する、新たなハウツーも数多く誕生しました。
ステロイド、抗生物質、エコカー、、etc。

しかしこれらのハウツーは、また新たな問題を生じています。
人体への副作用、細菌の抵抗力の向上、生産過程でのCO2排出の問題、、etc。

自分たちで生み出した利便性が次から次へと問題を生み出し、
それらの問題の合理的な解決法を新たに生み出し、
その解決法がまたさらに別の問題を生み出し、
それらの問題への合理的な解決法をまた新たに生み出す、

こうして経済は膨らんできました。
資本主義経済そのものがバブルなのかもしれません。


もちろん、人類の進化としては、
まちがいなく通る必要のある道なのだと思います。
そして、この道の先に、僕たちは、
本質的に持続可能な成長の世界を見つけるのでしょう。


では、持続可能な成長とは一体何なのでしょうか?


アーヴィン・ラズロは、ずばり 「意識」 と答えています。
ポスト資本主義経済とは、意識主義経済なのかもしれません。

いかに意識を成長させるかが主要テーマであり、

意識と物質のバランス が、次世代社会の鍵と言えるでしょう。



「足るを知る」

2008年1月9日に放送された
報道ステーションの特集「北京五輪で消え行く街角」での一幕、

「胡同(フートン)はあなたにとって心地よい場所?」
とたずねたコメンテーターに、
94歳の理髪師 靖奎さんが笑顔で答えた一言です。


ガンジーは言ったそうです。

「世界には、すべての人々の必要を満たすに十分なものが存在しているが、
 たった一人の人間に対しても、その欲望を満たすには足りないのだ」


なぜ経済的に大成功した本多静六は
晩年すべての財産を手放し、山に籠もったのでしょうか?


彼らには、資本主義経済そのものが、
あまりに幼い子供のエゴに映るのかもしれません。

そこを越えた世界の恍惚感に、
ただ浸りたかっただけなのかもしれません。


僕たちには、道を示してくれる先達がたくさんいます。
今こそ、彼らから学び、実践するときなのでしょう。


長くなりました。

ということで、
2008年は、来るべき意識主義経済社会に向けて、
ローレンス・トーブが時代の変革の最大要因とする「精神の命令」に、
より一層、身を委ねたいと思います。

別の表現をするのなら、
あまりがんばることなく、
一生懸命がんばるよりも結果的にうまく行く、
そんな道を探りたいと思っています。
(なんだか誤解されそうですが)

「精神の命令」に従って行動していれば、
自然と自分にもっともふさわしい目標が浮かび上がる、ということです。

進むべき道を進めば、
努力も努力と感じることなく、
がんばっている自覚も薄く漂々としつつ、
ところが傍から見ればアクセル全快でかっ飛ばしているように見える、
という現象が起こることでしょう。(きっと)

あとは、目標を手放し前進することを、
恐れずに信頼できるかどうか。


2008年はそんな感じで行きたいと思います。
よろしくお願いします!


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2007年12月07日 
今日は、ネットショップの目標となる
成約率についてご紹介します。


10月4日の記事で、
世界一の成約率を誇るネットショップをご紹介しました。

その名もLands'End

売っている商品はカジュアルウェア。

成約率12%です。

ちなみに、Lands'Endがトップとなった
ネットショップの成約率ランキングTOP100によると、
100位の成約率が4%ちょっと(たしか)。


ランキング1位のLands'Endは、
目標としてはあまり現実的ではありません。

一方で、100位の4%でしたらいかがでしょうか?

目標としては、“結構いい線”だと思います。


実際に、ソキュアスが運営しているネットショップの1つ
作務衣専門店『伝統芸術を着る会』 では、
ここ半年間の成約率が3%前後、
良いときで月間3.7%。

月間成約率としては4%に届いていませんが、
2週間というスパンで見てみると、
最大で4.3%の瞬間もありました。


ちなみに『伝統芸術を着る会』の
月間ユニーク訪問者数は、8,000人〜10,000人です。

数としては大きいとはいえません。

それでも3%あれば、
月のお客さん数は240人〜300人。
(商戦期はこの1.5倍くらい)
平均購入単価が2万3千円ですので、
売上としてはコンスタントに月620万円前後です。

これが4%になれば、
売上としてはコンスタントに月830万円前後です。

わずか1%の違いって、大きいですね。


ということで、

月間4%

この値に届かない限りは、
成約率改善に向けてやれることが
まだまだたくさんある、ということですね!
2007年10月15日 

たとえば今あなたの目の前にあるパソコンや机など目に見える物質を、
観測可能な最小の単位まで拡大して眺めると、
そこにはいったいどんな世界が展開されているのか?


つい半世紀前まで、
常識的な世界観としては未だに、


物質を構成するもっとも基本的なカタマリ(粒子)が存在する


と信じられています。
(中学校の理科では、それが「原子」だと習いました。)


真実は奇なり。


20世紀に入ると、
技術の発展に伴って、

それまでもっとも基本的なカタマリだと信じられていた原子が分解され、
さらに原子よりも小さい原子核も破壊できることが、
次々と発見されました。

考えてみれば、
たとえ微小であっても“有限”のカタマリである以上、
いくらでも分解できるはず。

こうして科学者達は、
何かに取り憑かれたように、
微小な世界の物理学に引き込まれていきました。
(こうして誕生したのが量子物理学)


そして行き着くところまで行った1920年代、
科学者達は、

物質を構成するもっとも「基本的な存在」は、
確固たるカタマリ(粒子)としての振る舞いと、
あらゆる物質になり得る可能性を持った“波”としての振る舞いの
両方を示すことを発見しました。

さらにどちらの振る舞いを見せるかは、

どのような観測方法で「基本的な存在」を観測するかによって異なる、
という奇妙な性質を見せたのです。


・・、意味不明ナリ。


それから80年後の2004年、
本当につい最近のことです。

物理学者シャーリアー・アフシャーは、

「基本的な存在」がカタマリ(粒子)として観測されている間も、
“波”としての振る舞いを見せていることを実験によって証明しました。


今あなたの目の前にあるパソコンや机など目に見える物質を、
観測可能な最小の単位まで拡大して眺めた時に見える「基本的な存在」は、
粒子などのカタマリではなく、
また粒子と“波”の二面性を持つのでもなく、

“波”そのもの だったのです。


開けてビックリ玉手箱。


物質の「基本的な存在」は、

目には見えないけど耳で感じることができる音楽のように、
目には見えないけど携帯電話が受信する電波のように、
目には見えないけど肉じゃがを暖めてくれる電子レンジの電磁波のように、

特定の“周波数”を持つ、
目には見えない“波”だということになります。


なぜ、目に見えない“波”が

物質という目に見えるカタチになるのか?



そんな疑問が湧くかもしれません。


実は、アフシャーの発見は、
その疑問自体が誤りであることを
僕たちに教えてくれます。


なぜなら、この発見は、


目に見える形あるものが現実であると信じてきた

僕達の価値観そのものが誤りだった



ことを科学的に説明してくれるからです。



すべては“波”です。

僕は“波”です。
あなたも“波”です。
さっき乗った電車も“波”です。
今朝食べたバナナも“波”です。

すべては、揺れ動き、互いに干渉しあう“波”です。

“周波数”が同じ“波”は互いに干渉します。
つまり、物質という“波”は、他の物質という“波”と干渉します。
それが「目に見える」ということです。
それが「触れる」ということです。


もしあなたが電磁波だったら、
他の電磁波が「見える」というでしょう。


目に見えるかどうかは問題ではありません。

人間の存在自体、特定の周波数を持つ“波”ですから、
同じ周波数帯の物質とは当然干渉します。

その結果に“意識”が介在する瞬間、
見た、触った、聞いた、味わった、
という“体感”が存在する、ということです。

同じ周波数帯の物質同士でも
実際の周波数には違いがありますので、

硬い柔らかいなどの“体感”の違いは、
周波数の違いから生じています。


もし、人間自身が自らの周波数を変える技術なり技能なりを身につければ、

音楽が見えたり、電磁波が見えたり、

別の周波数帯の存在と触れることも可能になる(!?)、かもしれません。


そして、

僕達が現実と感知する周波数帯とは異なる周波数帯に、
地球人のように高度な知能をもった生命体がいる、かもしれない?
といったことも
考えられないことはない、ということになるわけです。

普段は目には見えないし触れられませんが、
仮にそういった世界があるとすれば、
その世界に住む人々にとっては、
やはりその世界だけを現実と捉えているのかもしれません。

(われながらちょっとSFですが、、)


ま、少なくとも、

すべての存在は、それ以上分割できない
最小の「カタマリ」によって組み立てられているという、
一般的に受け入れらてきた考え方は、
粉々に破壊されたわけです。(とっくの昔に)


ところが、僕達が一般的に信じている世界観は、
相変わらず、粉々に破壊された科学に基づく世界観です。

僕たちは、まちがいなく「ラララ科学の子♪」です。

科学は、かつての宗教と代わって、
あらゆる常識観の基盤となりました。

その世界観が崩れたことがどれほどの衝撃を与えるか、
イメージできますでしょうか?


僕達は、相も変わらず

目に見える形あるものが現実である

と信じています。


ところが、新しい科学は、

現実であると信じた世界が目に見える

ということを示唆しようとしています。


これは荒唐無稽な絵空事ではなく、
既にそれなりの根拠をもった「明日のSF」です。

なかなかぶっ飛んだ時代になってきたということですね!

2007年10月04日 
今日は世界一の成約率を誇るネットショップをご紹介します。


世界一の成約率を誇るネットショップって、
なにを売っていると思いますか?

本?
パソコン?
食品?
雑貨?
それとも音楽?

どれもハズレです。


僕もビックリしました。

世界一の成約率を誇るネットショップが売っている商品は、

なんと 洋服 です(しかもフツーのカジュアルウェア)。


その名も Lands'End


成約率12% だそうです。


気絶しそうになりました。

12%ということは、
訪問者100人のうち、実に12人が買う、ということです。
(そんなことはわかってるって?)
ウハウハです。
広告ガンガン打っても黒字です。

ちなみに通常物販の成約率平均値は0.4%です。
(平均上代1万5千円〜2万円の場合)

実に 30倍 です。


一体どんなことをやっているのか?


まずは商品詳細ページ。

全色の画像を段階ごとにズームで見れたり(しかも鮮明)、
モデルに色々なカラーを着せ替えできたりと、
なかなかの凝り用。


さらに保証がすごい。

「ギャランティード・ピリオド100%保証」という名称で、

有り得ないことに 生涯保証 をしています。


 たとえそれが10年後でも…。
 ランズエンドは100%交換、返品を保証いたします。

 お求めいただいた商品が万が一お気に召さない場合は、ご連絡ください。
 ランズエンドは、ご購入いただいた時期や返品理由に関わらず、無条件
 で交換、返品を承ります。裾上げやモノグラミングをしたもの、クリア
 ランス商品のほか、着用したり洗濯をした後でもお受けいたします。
 すべての商品は、弊社の交換、返品サービスで保証いたします。
 これが、ランズエンドのGUARANTEED.PERIOD.100%保証です。


 参照:日本版ランズエンド


コレにはかなり驚きです。
この部分は成約率の向上に大きく貢献していそうですね。
返品率も上がるとは思いますが、
それ以上に売上が上がっている、ということでしょう。


Lands'Endの人気の秘密はそれだけではなさそうです。

Lands'Endについて調べていたら、
こんな情報を発見しました。


 Land's End のバスが全国をまわって、女性の体型を測定していた。
 何をやっているのかと思っていたが、いまわかった。Land's End が、
 最近、チノ・パンツの受注生産をはじめたのだ。近々ジーンズへも
 進出する由。いくつかのサイズと好みを言ってやると、それがバスで
 集めたデータと照合され、最適のデザインがメキシコの縫製工場へ
 送信される。そこで、CAM (Computer-aided machining)が生地を
 カットし、縫製して発送する。まさにコンピューターのDellがやっている
 SCM (Supply Chain Management)である。


 引用:http://tadhomma.ld.infoseek.co.jp/BizModel.htm


素晴らしいです!

SCMについては簡単にマネできるものではありませんが、
飽くなき“お客さん志向”への挑戦が
成約率12%を生み出したことだけは、
まちがいなさそうです。


ひとまず“生涯保証”については、
ウチで支援しているアパレルサイトでも
試しに取り入れてみたいと思います。

厳密には、

「どうすれば取り入れることができるのか?」

という考え方で、
商品開発と向き合いたいと思います。


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